二つの信楽焼

2008年04月01日

信楽焼に、もう一つの信楽焼が・・・・

江戸時代に信楽の地において、ものづくりの利権争いがありました。
当時の利権争いのお裁きは大坂の地で行なわれたようです。
このような小さく狭い場所での権力争い、いつの時代でも利権を独り占めしたいものです。

結果 信楽の現在の中心地(長野地区)において茶壺や火鉢の独裁的に生産=大物陶器。
    敗れた地(神山、雲井地区)においては、小物や細工物の生産となったのです。








もう一つの信楽焼がここにあったのです。歴史的には独自の流通体制があり、遠くは海外へも持ち出されていたそうです。

バブルの時代に大物陶器の不振により町内中心地の問屋がその分野へも手を出して、その結果大物陶器の流通に巻き込まれて繊細な部分を欠如してしまいました。現代の陶器製品にはその繊細な部分や品位・品格には程遠く、町中での現代の職人がつくる製品にはその部分は殆ど見受けられません。
かろうじて当時の製品に見受けられることができますが、基本的に生活用品であるが為骨董品としても多くは残っていませんし、数少ない貴重品としての先人の作品、それから一部追求を行なって当時を想像することが出来ます。

残念ながら現代の材料、設備や道具では再現すら不可能なのです。まして精神の分野は文化人がいない信楽では程遠いものがあります。

歴史の再認識は、現代の信楽の風土と人格が改めて理解できます。
行くところまで行けば、再構築は可能でしょう。その方面では利口な人々が周囲に多くおられます。それまでの楽しみとしましょう。









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この記事へのコメント
あらら、、、ふじ・愛サン

こんな歴史の事実があったんですか~~?

それで、、?ってタズネようと思って 読んでいたら、、
行くところまで行けば、、、って。
もう、その段階に確実に入っていますよ。

なにか、、講談の終わりのようで・・・(笑い)
「次の記事」に期待しますよ。

本当に興味深く読ませていただkjました。
Posted by at 2008年04月01日 19:31
風さん。こんにちは

NHK「ちりとてちん」も年度末で終了。
落語が背景でしたね。講談はもう少し高等ですね。

風さんのプログに投稿させて頂きましたが、
行くところまで行く。それは経済の分野として判断をしていましたが、
精神の分野においてまで、この体たらくでは、救いようがありません。

現状の分野・組織の回復は期待せずに、
全く異なった分野・新しい世界からの決起しかないのでしょうか。
残念ですが、今はそのように思えます。
Posted by ふじ・愛サン at 2008年04月02日 09:35
風さん。こんにちは

ひとつご教授をお願いします。

講談は、一昔前には講釈として捉えられていたそうですね。
それに対して落語は、落ち話であったそうですね。

講談が工芸であれば、落語は民芸。

講談は、歴史や政治のテーマを題材にする、基礎知識のうえに成り立つ。
落語は、作り話で、落ちがあればよい。

技術の粋の上に成り立つ工芸と  地位での道具としての民芸・陶芸。
そのような理解でよいのでしょうか。
Posted by ふじ・愛サン at 2008年04月02日 10:28
ふじ・愛サン こんにちは~!

いやいや、難しいことを尋ねられ、、、冷や汗ものですが・・・
コトは「講談」「落語」のはなしではなく・・・

つたない表現となりますが、「京都のキモノ」の時代的・歴史的に・・・「産業」として衰退していく「過程」を目の当たりにしたモノのたわ言、位にお読みください。 「産業・産地」と言っても、視野を大きくすれば「文明」社会、「文化」の変遷の歴史と思います。
糸(繊維)を紡ぐ、それは決して工芸云々と言うより「生活の中の衣服」ということであり、高級と呼ばれる「絹」は「献上や貢モノ」として 地域、地域の織物技術として根づいたのでしょう・・「民芸」としてその美しさが認められた経緯はご承知の通りです。また「社会の成熟」にしたがって・・江戸期「友禅斎」が京都で「染め」の手法を工夫し、、当時の「社会生活」に結びつき日本の「キモノ文化」を不動のもとしたことも、衆知のことです。端折りますが 私の父も愛知の田舎から出てきた「友禅師」の一人でした、、日本人の暮らしにこれほど
密着した「織と染」のキモノ、「嫁入り道具」に欠かせなかったキモノ!
しかし、戦後の「高度成長」の中「生活様式」がガラリと変化、、、加速度的に
変化!!それは、人の「価値観」を変え「住宅や家具、台所・・」等に至る大変化でした。 意味は違っても金沢の「加賀友禅」も同じくです、、「西陣、室町」
筋がその危機に気づいた頃は、長年の「商人の知恵」として 儲かった時に「山を買っておく」と、言ったことでは乗り超えられない段階に入っていました。
「安売り」・「価格競争」・「中国への生産移転」による原価の切り下げ、「流通の簡素化」等々、、そしていくつかの「問屋」、「職人」さんの努力によって支えられていますが・・それはすでに「産業・産地」とはいえません!技術の後継
も無く、行程を支える、人も道具も素材も失われています。
もっと詳しく分析すれば、いま、「信楽焼」の抱えている問題は これと酷似しています。私が「行きつくところまで来ている」と表現したのはこのことです。
!!!果たして陶器の「産業・産地」は今の時代に生き延びられるか・・・!
土を焼く、、ことが この時代に生き延びられるか!
時代、社会、生活・・・の中で 視点を0に戻して「模索」することでしょうね。
それは、マチのあり方とも深く関わっています。
この 財政難のおり、、、政治や行政の力を当てにすること無く「何が出来るか」? 問われていると思います・・・  またいつかの機会に・・・(笑い)
Posted by at 2008年04月03日 13:53
風さん、こんばんは。

その意味での、一時の思いつき、物まねの世界でなく。
周囲の事実に基づき実状の上に起っての提案の世界の必要と再認識します。

詳しく、理解しやすいご説明有難う御座います。
私も一時京都室町に通っていました。
京都の織や染めの世界において、呼称は忘れましたが、
生糸から仕立てまでを手配していた総合した職種があったと聞き及んでいます。

今の信楽において、視点を0にすることをまずは心がけて、(これが至難であります。)
冷静さを失わず、先見の目で 確実に行動をしたいと存じます。

貴重なお時間を割いていただき、ご教授頂きました事御礼申し上げます。
有難う御座いました。
Posted by ふじ・愛サン at 2008年04月03日 20:51
ふじ・愛サン おはよう!

ご丁寧なあいさつに‥恐縮します、ホントニこれからを語るとき0にしてフリーに語ることが 発見に必要かもしれません。
経済、政治、文化、産業、流通、商業、暮らし、環境ナドナドも本質だけは前提として‥ですかね〜

キモノのプロデューサは「シッカイ屋」と云いましたねー (笑)
京都らしいー

後の記事はまた、ゆっくりと‥。
Posted by at 2008年04月05日 08:59
風さん おはようございます。

連絡 有難う御座います。

この連休 過ごしやすい天気で、
町なかも 町そとも 良かったですね。
Posted by ふじ・愛サン at 2008年04月06日 09:58