しがらきへの交通 しがらきからの流通
2007年12月21日
信楽への交通は、今では信楽高原鐵道が中心でありますが、
当時の国鉄信楽線は草津線貴生川駅からの0番線ホームから信楽へ。
「この坂、えらい坂、・・・・・・・・」と急なのぼりを真っ黒は煙を吐きながら機関車が・・・・・。
線路に滑り止めの砂を撒きながら。
信楽からは、信楽焼の火鉢を満載した貨車が10両以上、機関車に牽かれて・客車は付け足し。
全国津津裏裏へ・・・・・。
当時の信楽への公共交通手段は、
国鉄信楽線、草津線経由・貴生川駅から信楽へ。
京都河原町御池(市役所の斜め向かい)から石山駅経由で信楽へ、帝産湖南交通バス。
石山駅から南郷・大石経由での朝宮・信楽へ、国鉄バス。
奈良駅(今のJR奈良駅)から京都府最南の加茂経由での朝宮・信楽へ、国鉄バス。
三重県伊賀上野から阿山経由での神山・信楽へ、三重交通バス。
水口からは貴生川経由で信楽線平行で雲井・信楽へ、国鉄バス。
すべての道は信楽へ、でもありませんがその状態でした。
町内では小川・多羅尾方面、畑・田代方面、宮町方面と今では考えられない状態でした。
信楽駅構内では陶器製火鉢の出荷、貨車への積み込み作業で毎日大混雑。
バスはあらゆる方面への発着で駅前は混雑。想像できますか。
すべてが産業としての信楽焼が存在したからこそで、ものがうごけば、お金がうごく。お金がうごけば、人が集まる。その結果であったそうです。
町中の窯元には従業員が多く働いており、窯元の大将(親方)は町の勇姿であり町中に活気が溢れていました。その結果の商店街も十二分に潤っていたのです。
今ではやきものは、ろくろと焼成窯さえ準備すれば、どこでも陶器工房で都会の真ん中でも。ロケーションは都会の陶房の方が有利であり表通りでの販売は、産地よりお客の情報も的確であります。
今の信楽は「この町、えらいまち。どこ行く、この町・・・・・・・。」の状態。
本当にいいものを求める方は産地にはわざわざこられません、都会の町中の優れた感性のある方に頼ります。産地にこられるのは単に雑貨・雑器を求めて・・・。アウトレットを求めて・・・・・。
これからの信楽焼は、売れるものを造るのではなく、売るもの・売りたいものを創ることであります。
売るもの・売りたいものは都会の町中で披露するのです。
そこで暮らす方の優れた感性で判断を仰ぎます。
地方でのイベントで人を集める時代は終わっています。全国各地でその失敗した施設が氾濫しています。何時訪れても変わり映えのしない産地、観光地、信楽では魅力はありません。その為の産地のアウトレットイベントですか。
魅力ある製品・作品がいつも町中に溢れていれば、人は勝手に自然と集まってきます。
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この記事へのコメント
おはようーふじ・愛さん
なんとねぇ〜!読ませて頂き‥過去と現在が手に取るようにわかりました‥
あの戦争(第二次世界大戦)の時、「信楽高原鐡道」廃止と云うおり、信楽の人たちが枕木を全て拠出して守った歴史の背景を‥!それはそれで「町」を守った美しく誇りある話と聞いていました、町を守り、信楽の「産業」を守る為の一致団結した話と!その誇りの象徴として‥国鉄が「赤字路線廃止」の大号令の下、廃止を宣言した時、存続させる為「第三セクター」による現在の「信楽高原鐡道」が残された経緯も理解することができました。そしてあの不幸な「事故」、物心の「負の遺産」を持って「合併協議会」が進行したのででしょうね、産業鐵道から交通・生活鉄道へ‥毎年4000万円の赤字!難しい問題ですが‥もし!それが原因で湖南交通帝産バスに対して‥町時代の話しあいの経過を考えず‥
しかし、今はこれからの信楽の在り方を考え「公共交通機関」を考える時ですね‥ また、JRも含めあの「不幸な事故」に対する私たち町として「鎮魂」の心を一丸となって顕す事も‥長くなりましたから また別の機会に‥失礼しました。ありがとう、
なんとねぇ〜!読ませて頂き‥過去と現在が手に取るようにわかりました‥
あの戦争(第二次世界大戦)の時、「信楽高原鐡道」廃止と云うおり、信楽の人たちが枕木を全て拠出して守った歴史の背景を‥!それはそれで「町」を守った美しく誇りある話と聞いていました、町を守り、信楽の「産業」を守る為の一致団結した話と!その誇りの象徴として‥国鉄が「赤字路線廃止」の大号令の下、廃止を宣言した時、存続させる為「第三セクター」による現在の「信楽高原鐡道」が残された経緯も理解することができました。そしてあの不幸な「事故」、物心の「負の遺産」を持って「合併協議会」が進行したのででしょうね、産業鐵道から交通・生活鉄道へ‥毎年4000万円の赤字!難しい問題ですが‥もし!それが原因で湖南交通帝産バスに対して‥町時代の話しあいの経過を考えず‥
しかし、今はこれからの信楽の在り方を考え「公共交通機関」を考える時ですね‥ また、JRも含めあの「不幸な事故」に対する私たち町として「鎮魂」の心を一丸となって顕す事も‥長くなりましたから また別の機会に‥失礼しました。ありがとう、
Posted by 風 at 2007年12月22日 06:27
風さん おはようございます。
そうでしたね。戦時中は金属の供出で信楽線のレールも武器となりました。
戦後において信楽線の復活は、信楽町民の死活問題であったことでしょう。この山間の町で、信楽焼の製品(火鉢)を作っても出荷する方法がなくては=当時はトラックもなく、あるのは牛に牽かす荷車だけ。これでは大量に、安全にこのの峠を降りれません。
当時の町民は、陶器産業の恩恵にすべての人々が期待していました。これを政治家がリードして早期の実現があったそうです。多羅尾、朝宮、雲井の人々も一丸となって陶器産業に・・・・・・・。生活の道具から、機能性を伴わない趣味の世界、それも産地感覚の感性では・・・・・。
今の陶器産業は・・・家内産業へ。政治家は・・・政治屋に。 自己のことを考えるのが現状です。これでは町はバラバラ。
もう少し時間が必要かな・・・・・、どん底までの。
そうでしたね。戦時中は金属の供出で信楽線のレールも武器となりました。
戦後において信楽線の復活は、信楽町民の死活問題であったことでしょう。この山間の町で、信楽焼の製品(火鉢)を作っても出荷する方法がなくては=当時はトラックもなく、あるのは牛に牽かす荷車だけ。これでは大量に、安全にこのの峠を降りれません。
当時の町民は、陶器産業の恩恵にすべての人々が期待していました。これを政治家がリードして早期の実現があったそうです。多羅尾、朝宮、雲井の人々も一丸となって陶器産業に・・・・・・・。生活の道具から、機能性を伴わない趣味の世界、それも産地感覚の感性では・・・・・。
今の陶器産業は・・・家内産業へ。政治家は・・・政治屋に。 自己のことを考えるのが現状です。これでは町はバラバラ。
もう少し時間が必要かな・・・・・、どん底までの。
Posted by ふじ・愛サン at 2007年12月22日 08:26
風さん こんにちは
世界陶芸祭の時の列車事故は、他の公共機関の事故とは本質的に異なります。
他の飛行機や列車の事故は、単なる運行会社の整備や運行からの発生したもので、原因のすべては運行会社にあります。
しかし 信楽高原鐵道の列車事故の原因は双方の列車会社に及ばず、この目的であった信楽への動員計画そのもの、それに携わって営利のみ追及した陶器業者、それを見逃していた町民 町全体のすべてに精神的な責任は及びます。
それゆえこの事故については、ご遺族や重軽傷の負傷を負われて方々、及び当事者間では一応解決がなされたと聞き及んでいますが、今だ世間では話題となります。
信楽が産業や観光で成り立とうとするなら、このことを見逃しては前には進めません。
当時の犠牲者、ご遺族、負傷者の方々への鎮魂と、お詫び。その際にお世話になった近隣の方々へのお詫びと御礼がいまだなされていません。
いまの信楽は負の遺産を背負ったままなのです。いまイベントや観光と叫んでいる人はこのことすら感じていないでしょう。自己の利益追求に追われていることでしょう。
それに加担するもの困りものです。立ち直りを遅らすことになるからです。 愚痴ですかな・・・・・。
世界陶芸祭の時の列車事故は、他の公共機関の事故とは本質的に異なります。
他の飛行機や列車の事故は、単なる運行会社の整備や運行からの発生したもので、原因のすべては運行会社にあります。
しかし 信楽高原鐵道の列車事故の原因は双方の列車会社に及ばず、この目的であった信楽への動員計画そのもの、それに携わって営利のみ追及した陶器業者、それを見逃していた町民 町全体のすべてに精神的な責任は及びます。
それゆえこの事故については、ご遺族や重軽傷の負傷を負われて方々、及び当事者間では一応解決がなされたと聞き及んでいますが、今だ世間では話題となります。
信楽が産業や観光で成り立とうとするなら、このことを見逃しては前には進めません。
当時の犠牲者、ご遺族、負傷者の方々への鎮魂と、お詫び。その際にお世話になった近隣の方々へのお詫びと御礼がいまだなされていません。
いまの信楽は負の遺産を背負ったままなのです。いまイベントや観光と叫んでいる人はこのことすら感じていないでしょう。自己の利益追求に追われていることでしょう。
それに加担するもの困りものです。立ち直りを遅らすことになるからです。 愚痴ですかな・・・・・。
Posted by ふじ・愛サン at 2007年12月22日 13:29
ふじ・愛サン おはようー
いえねーー、私の知り合いでよく信楽に来られる方を何度か宮町へご案内しようと声を掛けましたが‥何故か‥口ごもられて!
一度突っ込んで聞きましたが、思いがけずに「あの不幸な事故」に言及され‥信楽が好きだから 自分としては一度「花を供え」鎮魂に行ったが 以後どうしても余り気が進まないと‥‥
おっしゃってましたから、私たちが考えている以上に疵の痛みを他府県の方は‥感じておられる事を知りました、一つ一つ問題を整理して行くことも必要何でしょうね、きっと!
いえねーー、私の知り合いでよく信楽に来られる方を何度か宮町へご案内しようと声を掛けましたが‥何故か‥口ごもられて!
一度突っ込んで聞きましたが、思いがけずに「あの不幸な事故」に言及され‥信楽が好きだから 自分としては一度「花を供え」鎮魂に行ったが 以後どうしても余り気が進まないと‥‥
おっしゃってましたから、私たちが考えている以上に疵の痛みを他府県の方は‥感じておられる事を知りました、一つ一つ問題を整理して行くことも必要何でしょうね、きっと!
Posted by 風 at 2007年12月24日 11:16
風さん。
負の遺産は大きいものですね。
信楽高原鐵道列車事故は、単なる交通機関の事故ではありません。
当時開催された「世界陶芸祭」の計画においての
当時の行政機関・地方自治体・関連団体・それを見逃していて住民すべての責任です。
今は、新名神高速道路の信楽インターの出口正面にその現場となる慰霊塔があります。
これの鎮魂とお詫びが残っています。このことを明確にしての行動が必要です。
負の遺産は大きいものですね。
信楽高原鐵道列車事故は、単なる交通機関の事故ではありません。
当時開催された「世界陶芸祭」の計画においての
当時の行政機関・地方自治体・関連団体・それを見逃していて住民すべての責任です。
今は、新名神高速道路の信楽インターの出口正面にその現場となる慰霊塔があります。
これの鎮魂とお詫びが残っています。このことを明確にしての行動が必要です。
Posted by ふじ・愛サン at 2008年04月07日 15:35

