しがらきの町 入り口

2007年12月19日

しがらきの不思議


  
  信楽の町は五つの地区から
    北から 雲井学区   742年聖武天皇が建都した紫香楽宮の伝承の地 
                  やきものの細工工芸の里(祭器、茶器、高台など発祥)
 

         信楽学区   信楽焼でおなじみの大物陶器の産地・長野地区
                                    (土間での使用・利用製品など)
                  小物陶器は神山地区が発祥の里 (器類などの発祥)
 

         小原学区   古くは近衛家の別荘地・天領の地 歴史の中心の地
                  信楽での交通の要所


         朝宮学区   815年嵯峨天皇の命での最古のお茶の産地
                  煎茶においては今でも全国一の品質と美味しさ
 

         多羅尾学区  江戸時代の直轄地(多羅尾代官=代官職唯一施主制)
                  一時は京の都から伊勢神宮までを治めていた


  これらが単に政治や歴史・産業であればそれで済みます。
  しかし この地における、しがらきはそれぞれが相互にに関わって現在に至っています。
  例えば、朝宮のお茶と信楽焼の茶壺  お茶の保存に最適=室町・桃山時代から
       朝宮のお茶と信楽焼の茶道具 茶道の道具の道具としての信楽焼 
                             信楽茶碗、うずくまる、水差し など
       紫香楽宮・甲賀寺と信楽焼   神事の精神で信楽焼での祭器の生産。
       多羅尾氏(代官)と信楽焼    徳川家の御用茶壺を始め。各藩主へ茶壷の生産納入。
  などと日本文化の精神でのものづくりが行われていました。

  明治の文明開化のときは、薬品(危険物)を入れるあらゆる品々を(ガラス製品が出来るまで)。
  特に絹製品は明治の輸出の主たるもので信楽焼の道具大きく貢献しました。
  明治から昭和の中ごろまでは暖房器具の代表であった信楽焼の火鉢を全国津津裏裏に送って
  いました。(都市ガス整備の完了まで)

  いつも政治や文化・産業の中心に関わっていました。信楽線はその為のもので客車は付け足し。


  写真は信楽町50周年記念誌を一部参照









 
       

  


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この記事へのコメント
信楽の基礎が学べた感じです(^^)
ありがとうございます!
Posted by ぽんこぽんこ at 2007年12月20日 04:35
ぽんこさん おはようございます。
今の信楽はどん底であります。信楽が元気になるには信楽の町に活気が必要ですが、
その活気の源は信楽焼をはじめとする産業の再生なのです。
イベントも必要です。
本質は産業の再認識で、町に活気を取り戻すことなのです。
信楽の歴史から、その時々の営みから活気の源を捜し求めようと思います。
今後ともよろしくおねがいします。もう一度の復活まで・・・・・・・。
Posted by ふじ・愛サンふじ・愛サン at 2007年12月20日 08:13
ふじ・愛サン おはよう!

あらためてよく理解できました、ほんとうにありがとうございます。

私がいる勅旨区は、また「雲井学区(小学校)」を構成する中の一つ[宮町・黄瀬・牧・雲井・勅旨・円岡]そしてその勅旨にも自治単位として12組〜ありますからね!「幻の勅旨窯」と云われる尾根伝いに遺る「登り窯」なども大切な歴史の語り部ですまた、
昔の焼き物に使われた「土」の採掘場も遺っていることも調査されています

「氷山」は、表面に現れているのはその一角ですから、その下を把握して「町」を考えるか‥この「故郷」を考えるについて、先ず町の人々が語り、学びあう「情報」手段が必要です!繰り返しますが「有線と新聞折り込みに入る甲賀市の広報」がほとんど!では「熱い心」も実を結びません、それぞれの努力も見えません。
こころを寄せ合う場所の提供‥もうそろそろせねば!始動の時期に来たかも知れません 信楽の全体像と特化の在り方を。
ほんとうに貴重な記事に、
学ばせてもらっています、ありがとう。
Posted by at 2007年12月21日 08:02
風さん おはようございます。
長野地区の登り窯は、個人の窯元が大物陶器を大量生産のためのものでした。
それに対して、勅旨の登り窯は共同焼成のためであったと聞き及んでいます。各戸袋(各室)ごとに、作陶職人が詰めたとのことです。勅旨の陶器工房においては、細工小物であったため、多くの場所を必要としませんでした。
ご存知のことと思いましたが、ご参考まで。
Posted by ふじ・愛サンふじ・愛サン at 2007年12月21日 10:24
風さん 追伸 です。
信楽焼、信楽の登り窯、信楽の観光などの公的資料において、殆どは勅旨・黄瀬地域、神山地域のやきもの文化に触れていません。
信楽焼の作家を述べる際に初めてこの地域の方々の名前が挙がります。
この矛盾を探ることで、ここから信楽焼の未来、信楽の未来が見えてくる気がしています。
いつも有難う御座います。
Posted by ふじ・愛サン at 2007年12月21日 10:48