春雨の中の花

2008年04月17日

春の雨は暖かい



庭の木々も花たちも
日に日に表情豊かに進化して
毎年同じ繰り返しであるが
その表情は豊かに変わっている。

 

雨にぬれての色鮮やかさ
後は山つつじを待つに至るだけ。




  

Posted by ふじ・愛サン at 08:53Comments(4)TrackBack(0)今日の出会い

しがらきの桜

2008年04月12日

しがらきの桜

 

山間のしがらきの桜
明日の日曜日が見頃でしょう。

東京の桜便りから二週間、京都の満開便りから10日
それだけに、山間の桜が綺麗です。
このトンネルの下を中学生、小学生、高校生が時間差登校。
本来の春の風物詩です。

新年度において、桜に迎えられての登校 いいものですね。

 

一昔は5月初旬の地元氏神様の祭礼で御輿たまりにおいて満開でした。

ここにも温暖化の傾向が表れています。





  

Posted by ふじ・愛サン at 23:49Comments(6)TrackBack(0)今日の出会い

途絶えた・しがらきの文化Ⅱ 

2008年04月04日

有史においてのしがらきの文化

第七次の文化
  明治維新において絹織物の輸出が盛んになりました。蚕の繭から糸を取り出す鍋「糸
  取り鍋」の生産が信楽で行なわれるようになり、全国の蚕産地で採用されました。
  工業用薬品に関する瓶、器、道具類


第八次の文化
  絹織物と同時にお茶の輸出も盛んな時代です。全国のお茶の産地から・朝宮のお茶
  も輸出となりました。その際に工芸品であった茶器も多く輸出されていたようです。


第九次文化
  生活雑器、水甕、壺類、食器、祭器、暖房火鉢・湯たんぽなど、あらゆる生活関連製
  品が作り出されていました。


第十次の文化
  信楽焼が建築の文化への進出。テラコッタと称する大型装飾タイル、大型特殊タイル
  がそれです。滋賀県庁本館、国会議事堂の中央塔屋根瓦など。


第( )次の文化?
  当時唯一の暖房器具であった火鉢の生産。大物陶器の産地であった信楽の特徴を発
  揮 したのが火鉢。全国への出荷は全国の生産高の8~9割とされてました。
  大きくひび割れた製品もセメントとエナメルでの修正で製品として出荷。「作れば売れ
  る。」この言葉が出来たのもこの頃です。=都会では死語、山間の場所ではいまも残
  っている。又信楽線はこの出荷のために開通されたのであります。
  雲井駅からは材木が多く出荷されていました。当時は貨車への積み込みでにぎわっ
  ていました。

この後は、ご存知の通りであります。

奈良、京都、大坂、東京、などと異なり政治や文化の中心とは程遠いですが、永い期間での継続は他に類をみません。
天平の時代に始まり、最近までは事あるごとに結果的に表舞台に拘ってきました。
明治初期までは、信楽にも文化と呼ぶに値するものがあったのですが、その後において物資が不足の経済状況で大量生産・大量販売に突入。他の地域には考えれない、一歩先を進んだのが信楽の経済推移であります。

先人の功績を知らない、知恵を伝承していない。それでは伝統も生まれるはずがないのです。

しがらきの文化は、雲井地区、朝宮地区、多羅尾地区、小原地区、信楽地区なのです。
しがらきの町には二つの町が存在します。= 次回のテーマ。

ものとは使われての事であり、使い手が見えないものは所詮それまでです。

今の時代は、日本文化・地域文化の再認識が必要なときです。




 

 
  

Posted by ふじ・愛サン at 08:58Comments(19)TrackBack(0)先人の知恵

途絶えた・しがらきの文化

2008年04月03日

有史においてのしがらきの文化

 第一次の文化
   紫香楽宮においての文化は、聖武天皇の遺品(正倉院)の宝物と、
   紫香楽宮からの発掘資料から窺えます。


 第二次の文化
   藤原、近衛家の統治であった信楽の朝宮の地に、嵯峨天皇が、
   日本最初の産地としてのお茶を植えられました。

 第三次の文化
   日本六古窯として、鎌倉時代に全国で当時六つの窯の産地が認められます。
   種壺を主体に生活雑器がつくられていました。

 第四次の文化
   戦国時代に、武野紹鴎や千利休により茶の湯の確立と、信楽の生活道具の
   壺などを茶席に侘びをして取り上げられる。
 
 第五次の文化
   徳川幕府の初期において幕府は信楽で御用茶壺の生産を命じました。
   その後においては全国の大名からも茶壺の納入依頼に続いたそうです。」


 第六次の文化
   江戸時代の後期において、江戸や大坂の庄屋や商家から煎茶の文化が確立され、
   日本茶は急激に日本中に広まりました。煎茶の茶器も必要とされました。


 次回は明治以降の 「しがらきの文化」



 





   

Posted by ふじ・愛サン at 07:59Comments(4)TrackBack(0)先人の知恵

二つの信楽焼

2008年04月01日

信楽焼に、もう一つの信楽焼が・・・・

江戸時代に信楽の地において、ものづくりの利権争いがありました。
当時の利権争いのお裁きは大坂の地で行なわれたようです。
このような小さく狭い場所での権力争い、いつの時代でも利権を独り占めしたいものです。

結果 信楽の現在の中心地(長野地区)において茶壺や火鉢の独裁的に生産=大物陶器。
    敗れた地(神山、雲井地区)においては、小物や細工物の生産となったのです。








もう一つの信楽焼がここにあったのです。歴史的には独自の流通体制があり、遠くは海外へも持ち出されていたそうです。

バブルの時代に大物陶器の不振により町内中心地の問屋がその分野へも手を出して、その結果大物陶器の流通に巻き込まれて繊細な部分を欠如してしまいました。現代の陶器製品にはその繊細な部分や品位・品格には程遠く、町中での現代の職人がつくる製品にはその部分は殆ど見受けられません。
かろうじて当時の製品に見受けられることができますが、基本的に生活用品であるが為骨董品としても多くは残っていませんし、数少ない貴重品としての先人の作品、それから一部追求を行なって当時を想像することが出来ます。

残念ながら現代の材料、設備や道具では再現すら不可能なのです。まして精神の分野は文化人がいない信楽では程遠いものがあります。

歴史の再認識は、現代の信楽の風土と人格が改めて理解できます。
行くところまで行けば、再構築は可能でしょう。その方面では利口な人々が周囲に多くおられます。それまでの楽しみとしましょう。






  

Posted by ふじ・愛サン at 14:03Comments(7)TrackBack(0)先人の知恵

信楽焼・使う陶器と飾る陶器

2008年03月31日

信楽の陶器の再認識
   本来の信楽焼は技術の粋の上に成り立つもの。








信楽焼の陶器において、その目的が市場で認められていません。
東京の都心において、信楽焼の製品の評価は極端に低いものであります。
その原因は、以前に信楽焼を購入したが使用状態において問題が多い。との苦情であります。
  ・テーブルに傷が付く
  ・食器などでは、カビが生えて不衛生となる。
  ・花瓶においては、長期に使用していると水が染み出す。
  ・少しの衝撃で欠ける。
  ・その他様々・・・。
信楽焼の生産技術の主体は、土間用製品の技術なのです。いまの各窯元はこれが基本であることは、その窯元の作業場・焼成窯付近をみれば、一目瞭然であります。
この内容が信楽焼のイメージであります。
その結果、信楽焼の名前は、今の都会の消費者には避けられているのです。これが現状です。

昨今、都会から信楽に編入して作陶をされている方が多く、当初は使用目的を明確に、上記の問題点の解決すべき作品もありましたが、残念ながらいつも間にか大勢に同調されているようです。


バブルの終末時代に民芸ブームがありました。結果陶芸においても、飾る陶器作品が持てはやされました。投資目的で価値を生み出す製品としての木箱入り製品がそれです。
(当時は町中に、髪の毛を伸ばし後ろで束ね作務衣を羽織り基本を蔑ろにした、俄作家が溢れていました。)
今もその要望はありますが、残念なことに骨董品の世界に当時の製品が多く出回って、市場においてだぶついているのもいるのが現状です。完成度が低く無名作家として文化価値が認められていない製品が、当然今の製品価格より安価で出ています。
ものづくりにおいて文化が解らない作家では無理です。他の産地と違うのは信楽焼には文化が無かったことです。御用窯でなく、雑器・生活道具を作っていたのです。 
その生活道具が偶然に当時の茶道の文化人に認められただけで、それも種壺や何の変哲も無い生活陶器であります。その後において文化人が道具としてとして認められたのはあるでしょうか。又今は誰が文化として認めてくれるのでしょう。


文化としての信楽焼
薪での焼成、灰被りや緋(炎)色の作品は、今後の方向として、何かが欠けていることを作家自身が気が付かなければ、文化としての未来が視えないでしょう。
本来は、信楽焼は日本文化として開花されるべきですが・・・・・・・・・。
そうでなければ、単に個展の繰り返しと、観光客相手の民芸陶器としての世界へとなるでしょう。

産業としての信楽焼
現代生活においてのライフスタイルに提案できるものづくり。
業界においては安価な製品が後進国から、産地においての不利の見極めでの有利性の追求。その結果での目的を見つけ出す必要があります。産業として・消費地での展開と販売が必要でありましょう。、地元でのお土産陶器・民芸陶器(陶芸)では続くのでしょうが・・・。


新名神の開通と信楽インターの開設で、来町者大きく増えていますが、その内容は従来と全く違っています。

信楽の先人が残してくれた文化、精神、技術などを大切にして、それの発展を考えることが必要です。都会から近くなりました。それは人が訪れて頂くのが便利になったことより、その情報が掴みやしくなったことです。

今は、いまあるものを売ること、今あるものを作ることより、
今後 何を提案すべく、どのように展開するのかを考えることの転機なのですが・・・。
その結果でのものづくりが必要ではないでしょうか・・・・・。
品位・品格がある製品を目指しましょう。

一般の方々のほうが見る目がありますよ・・・・・・・。





  

Posted by ふじ・愛サン at 10:44Comments(2)TrackBack(0)先人の知恵

この道具は何でしょう。

2008年01月31日



この道具は何でしょう。何に使うものでしょうか。・・・・・・・・・・・・・水滴

実は、最近 信楽の陶芸の森 産業展示館 陶器製品ショップでみかけました。

最近は文章を書くこともデジタルの利用で、手紙やはがきでの直筆を少なくなりました。
書道に関しては、いうまでもありません。

私たちの時代の義務教育では、書道の授業がありました。
硯、筆、墨を持参しての授業も、その殆どが硯で墨を磨ることでした。
習字は最後のほうの時間のみ。

その後 墨汁が出回り、ずるをしたものです。

ただ 墨汁と墨を磨ったのでは、全く伸びが異なりました。
やはり粒子の大きさで、墨を磨ったものは素晴しい状態でした。

その際に、父親の硯箱から、この道具を勝手に持ち出して、酷く叱られたものです。
今は亡き、父親との懐かしき思い出です。

最近は、生活のおいてすべてが便利になってきています。
それゆえ、本来の目的も見えない状態が多くみかけます。
便利とは、時には目的すらも隠してしまいます。
道具とは、その本来の目的を考えさせ、思い出させてくれるものなのでしょうか。

道具は楽しいものです。


「水滴」 === 硯に適量の水を入れるためのもの。一滴一滴の調節が可能な道具です。





  

Posted by ふじ・愛サン at 10:50Comments(9)TrackBack(0)yやきものの道具

煮・焚き物の見直し。

2008年01月10日

煮物、炊きものに適した水とは。



ご飯を炊く際にお米を磨いで水にしばらく浸しますが、粒子(クラスター)の小さな水ではすぐにお米は白くなります。
しかし最近の水道水ではなかなか白くなりません、水の粒子が粗くお米に水が浸透しに時間を要する事となります。もちろん、新米・古米などの状態、お米の保存状態で乾燥の有無においても異なりますが・・・。
煮炊きものにおいて、その素材に充分な水を含ませる下準備が必要ですが、その判断が難しくなっています。お米のようにはっきりと色での状態が解ればいいのですが、多くの素材は解りにくいものであります。
乾燥した素材において充分に水が含んでいなければ、素材の表面と内側に差が出来て芯が残ってむらが出来るか、もしくは煮崩れが起こりやすくなるのです。
それゆえ料理においては充分な下準備が必要なのです。

最近の都会の水道水においては、時間を要しても素材に充分な水分を含ますことが出来ないことがあります。その結果、料理の専門家におかれて、山間部の水は美味しい料理が出来る、との表現となっているのです。



もう一度、地域の水を料理に適した水に戻すことを考える時となっています。
料理において、日本の文化である「蒸す、煮炊きもの」をもう一度見直しましょう。


                                     参考  http://www.three-n.com/





  

Posted by ふじ・愛サン at 10:18Comments(2)TrackBack(0)健康の基準値の水

料理に適した水とは・・・。

2008年01月09日

料理の水で、「どこどこの水は良かった。」 これでは、プロの発言ではありません。



プロとは、「その地域の水を利用して、素材を最大限に生かした料理をすることであります。」と服部先生がおっしゃっていました。



そうでないといつも水を準備しなければならない。素材を準備することは容易いだが水を準備することは大袈裟となる。それではその料理は広まらない。(単なる別世界の料理)

しかし、その地域の水道水をそのまま料理に利用するには問題もある。その際は最低限の準備が必要である。
その準備とは
 ・水の不純物を取り除くことである。といってもミネラル分は残す。(浄水は行なわない)
 ・水に含まれるカルキ臭の原因であるカルキの除去を行う。
 ・水の粒子(クラスター)を最小限にする。
この三要素が料理にあたっての準で、必要とするものであります。
  
  素材をそのままでいただく際は、水に含まれるにおいが邪魔となる。
  煮、焚きものにおいては、水の粒子が大きく作用するのは当然のことであり、ミネラル分が適度に
  含んだ水は、食材を生かすこととなる。(純水は料理には適さない)

その地域の水、水道水を最良の状態にしてから料理の水とするのが、「プロの水の下ごしらえ」とのことです。



ご家庭でも、充分においしい料理は可能です。ご家庭の水道水で充分です。それには・・・。
ご自宅の生活水、水道水を最良の状態にしてご利用ください。
むずかしいことではありません。料理の前にご自宅の水の下ごしらえから・・・・・・・。

                                  参考    http://www.three-n.com/












  

Posted by ふじ・愛サン at 12:19Comments(6)TrackBack(0)健康の基準値の水

生まれ育った処の水

2008年01月08日

人類は生まれ育った処の水は大切にしなければなりません。
昔から旅行に行くと「水が変わる」といいます。それほど、普段の水が大切なのです。
水には、多くのミネラルが含まれていますが、地域により大きく異なります。
人々は、その地域の水に身体の形成が大きく影響をして現在に至っています。
それゆえ、身体のDNAも地域の環境(特に水)になれ親しんでいます。



最近の水道水は、塩素などの混入により有機物が化合物となり人体に有害な影響を与える「消毒副生成物」となり含まれています。
それに対応しての除去のために浄水器の設置では、このミネラル分も化合物としてすべて除去してしまいます。
また、異臭を放つカルキ臭も同様で、料理等の味に影響を与えています。

地域の水道水は、人体に必要なものでであるミネラルも充分に多種含んでいます。
その必要なもの=ミネラル分を人体に安全な状態で吸収することが本来は必要なことなのです。

・地域の水道水のミネラルを安全に吸収しやすい状態に戻す。
・身体に有害な消毒副生成物もなくする。
・地域の水道水を各家庭で、水が生まれた状態に戻す。
以上のことで、人々は地域の環境(水の分野)と共存することは必要であります。


地域の水道水を、水に含めまれるミネラル分を安全に身体に吸収できる方法とは・・・。
水を活性化させて、生まれた状態に戻すことです。
一度ご体験を・・・・・。すぐに実感できます・・・・・・・。


                                      参考 http://www.three-n.com/












  

Posted by ふじ・愛サン at 11:09Comments(0)TrackBack(0)健康の基準値の水